なぜ生殖技術は進展しつづけるのか? 不妊治療は何を解決したのか?
 『文化としての生殖技術−不妊治療にたずさわる医師の語り』を出版して
柘植あづみ (明治学院大学社会学部、医療人類学専攻)


 不妊治療技術(生殖補助技術、最近はARTと呼ばれることが多い)については、1978年の世界初および1983年の日本初の体外受精による出産の成功以来、多くの問題点が議論されてきた。しかし夫婦間の体外受精や顕微授精は、もう特殊なものではない。その証拠に、1998年までに広義の体外受精を用いて生まれた子どもの数は、国内でも4万人を越え、今後は年間1万人近くの子どもが生まれるとされている。
 しかし、体外受精の胚移植あたりの生児出産率はわずか10パーセント代である。排卵誘発剤の副作用による重大事故も生じている。多胎妊娠による妊婦と胎児双方の健康状態の問題も頻繁に生じる。また、減数手術や男女生み分けの是非、提供精子や卵子を用いたドネーション、代理出産の是非や法的規制の必要性に関する議論もある。何より、不妊治療技術がこれだけ普及しても不妊の人たち(特に女性)への偏見は減っていないばかりか、むしろ、治療すれば解決するとみなされる傾向が強まっているという問題がある。

生殖技術に対する医師の意識と行動
 その中で不妊の人たちはますます孤立し、長期にわたる不妊治療に耐え、そして先端的な医療技術を受容しつづける。それがさらに、夫婦以外の第三者がかかわる生殖技術や、体細胞から生殖細胞をつくる核移植のような実験を押し進めることになる。では、不妊治療を実施している医師は、これらの生殖技術について、どのような意識を有して行動しているのだろうか?
 この本は、このような関心から、不妊治療を実施している医師35人と不妊治療を経験した女性11人に、インタビュー調査を行なった結果をまとめたものである。本の帯に「インタビュー調査から浮かび上がる日本の産婦人科医の生命観・家族観・自然観−医師たちは『患者のため』に新しい生殖医療技術を開発・応用していると語る。患者たちはその医療で悩み苦しんでいる。なぜ、このようなズレが生じるのだろうか?」とある。これは、生殖技術は是か非かという問題設定ではなく、なぜ医師はそう考え行動するのかを、専門職の価値規範や技術に対する倫理観、個々人の家族観や自然観、そしてジェンダー観について、医師のライフヒストリ−(生活史)や不妊に関する人生経験をも考慮しながら、読み解こうという試みである。
 本書では、医師の語りをそのまま引用して、それを医療の部外者の視点から解釈、分析していく。そこに医師と患者のあいだに不妊治療についての考えや感覚の齟齬が生じていても、医師の有する文化ゆえに生殖技術が存在し進展しつづける様相が明らかになっていく。

本書の構成と内容
 本書の構成と内容を簡単に紹介したい。序章 本書の背景と目的。第1章 これまでの研究と本書の位置付け:先行研究を紹介し、この本の独自性について説明する。第2章 医師の意識と行動を調査する:調査手法を説明し、インタビュー場面を例に解釈方法を検討する。また、調査対象者である医師の家族構成や医師・産婦人科医になった理由を示し、集団の特徴を述べる。第3章 不妊治療技術についての医師としての態度:不妊治療諸技術への賛否とその理由について量的分析と質的分析双方による調査対象者集団の傾向を指摘する。第4章 医療技術の評価−患者の論理と医師の論理:患者の不妊治療体験と医師の不妊治療技術の評価を比較し、通院や治療の負担、インフォームドコンセント、副作用などについての考え方の齟齬を描く。第5章 医師の「家族」観・「親子」観:親子のつながりとは、「女は子どもをもって一人前」か、などの質問を医師に投げかけ、その意識が不妊治療の臨床とどう関係するかを考察する。第6章 「自然である/ない」という観念と医師の態度:日本人の倫理基準のひとつともいえる「自然じゃない」という観念について医師に尋ね、その不妊治療との関係を検討する。第7章 「不妊は病気か」−「病気」概念と不妊の医療化:なぜ医師は不妊を病気とみなすのか、どのような病気だとするのかについて分析する。 第8章 医師としての態度と個人としての態度:「もし不妊だったら、どんな治療を受け入れますか」と医師に尋ねると、医師としてと個人としての態度は違うとする。では、なぜ態度を切り替えるのか。終章 なぜ不妊治療技術は進展しつづけるのか:不妊が「社会的病気」であることを認識し、個人としては受け入れない技術でも「患者のため」としてより新たな技術を駆使する医師と、不妊治療を何度失敗しても「あきらめきれない」と悩む患者との相互作用を明らかにする。そこで、もう一度「不妊とは何か」に立ち返って解決策を考える。

出版後の反響
 思いがけず、医療者、医師や看護婦の方から、賛同(全面的にではないにしても)のお手紙やメールをいただいた。また、いわゆる「学者」には書評等で「わかりずらい」と批評された箇所が、不妊の当事者の方やその他婦人科系の疾患の患者・当事者グループのニューズレターなどに載せていただいた書評や紹介ではかなり理解していただけていることがわかった。これらから、誰に題して書いていたのか、というのが、書き上げてから、医療者や患者・当事者に自分の視線が思っていたよりも強く向いていたのだ、ということに気づかされた。これらの人々と、調査者としての私の距離感、そして、その私と一般の読者(研究者・学生が主かな?)との距離感をこれからどのように埋められるかが、課題だと思う。

議論を喚起するために
 私は医療者も、(もちろん私も)あらゆる社会的・文化的価値から自由ではありえないと思っている。そのような医療者が有する価値や文化を知った上で、いかに技術を使うのか、科学技術に対して社会と個々人がいかに対応していくのかが考察されなければならないと考えている。「患者のため」というだけで、医療行為が崇高なものとされる時代は終わったのである。そのために、本書が、生殖技術について、患者/利用者や医療者の悩みや葛藤をも理解した上での議論を喚起できることを願う。
 



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