・「遺伝子治療を考える市民の会議」の経過報告 その2
・第2回コンセンサス会議開催の始動について




「遺伝子治療を考える市民の会議」の経過報告 その2
  −日本で最初のコンセンサス会議の試み− 
科学技術庁科学技術政策研究所 木場隆夫  1998年11月26日


だいぶ時間は経ってしまったが、本年1月〜3月にかけて行われた「遺伝子治療を考える市民の会議」(以下、「会議」と略記。)の経過について記しておきたい。企画・準備状況については前回報告した。

1. 第一回会合は、1月24日に午前11時から午後5時までという予定で行われた。冒頭、会議の趣旨説明を行った。その後、事務局の鬼頭教授から、市民パネラに、遺伝子についての簡単な入門的説明を30分程行った。その後、専門家4名による説明が行われた。説明時間は専門家一人について35分とった。まず、最初に自治医科大学の小澤教授が説明した。最初の説明者ということで小澤教授は、遺伝子治療の概要について話をした。次に、岡山大学医学部の田中教授が当時、岡山大学で計画中であった、肺ガンに関する遺伝子治療について説明した。3番目に説明したのは大阪大学細胞生体工学センターの金田助教授である。金田助教授は遺伝子治療の基礎研究として、新しい安全なベクター(遺伝子の体内への運搬役)を開発している。この日の最後は、三菱化学生命科学研究所の米本室長が説明した。医療政策という観点から生命倫理に関係することを話した。
 専門家の説明のあとには、それぞれ15分の質疑応答の時間をとったが、市民パネラからはその時間が足りないほど活発な質問とコメントがあった。第一回会合の反省点として、市民パネルは質問はしていたが時間が短く、一方的に話を聞いていた感じがしたので、市民パネルの参加意識を高める親睦会などを開催する必要があると思われた。市民に自由に発言し、親睦を深める時間帯を次回会合では設定することとした。第ニ回会合の昼間と会合終了後に、任意参加の懇談会を開くこととした。また、市民パネルに参考として外国のコンセンサス文書の英文和訳を行い、配布することとした。デンマークの食品放射線照射の論点2つと、鍵となる質問リストを和訳した。

2. 第二回会合は、2月21日に行われた。5人の専門家から説明があり、質疑応答が繰り返された。最初は名古屋大学医学部の吉田教授から脳腫瘍の遺伝子治療について説明があった。次に北海道大学の崎山教授から説明があった。崎山教授は1995年に日本で最初の遺伝子治療(ADA欠損症)をした。これが日本で今まで唯一の遺伝子治療の例である。
 3番目に千葉大学の広井助教授から医療経済の視点から説明があった。4番目に信州大学の立岩助教授が説明した。なぜ遺伝子治療を生殖細胞にしてはいけないのかその理由を考えると、あまりその根拠は明確なものではないと述べた。最後に毎日新聞の青野記者から、ジャーナリストの立場から説明があった。遺伝子治療についてはこれまでさまざまな論調で報道されてきたことを述べた。
 第一回、第二回とも3,4名ほどのマスコミの記者の方が取材に来た。また、第二回目にはNHK教育の番組制作の担当者がテレビカメラをもってきた。その他、一般の傍聴者が8、9人来た。第二回会合は、会議終了後、7時半まで懇談会を行った。これは相互の親睦を深めるのに役に立った。

3. 第三回会議は、3月7日に市民パネルだけで3班に分かれて議論した。あらかじめ用意されていた論点について3分科会を設けて検討した。事務局から司会を3名、書記3名、書記補佐3名を出し、各班に割り当てた。午後4時ころまで各班で論点2,3,4について議論し、その後全体会になった。各班の発表と、受け持ち以外の他の論点の討議状況を報告した。その後論点1,5について各班で議論し、まとめた。時間が不足していた。最後のまとめ、論点1、5については東京電機大学の若松教授が大急ぎで総括した。3月21日の報告会での発表者、各班からのコメンテーターを決めた。午後5時終了予定であったが、午後6時40分ごろまでかかった。

4. STS国際会議での公開シンポジウム
 第三回会合の後、各班の記録係が作成した文書を全部集め、事務局において文章の若干の手直しをした後、市民パネル、専門家パネルに配布し、同意を求めた。結果として4ページにわたる「意見」がまとまった。急ぎ、英訳を行った。一人の市民パネルが自分の意見を述べることとなった。
 3月21日の京都けいはんなプラザでの公開シンポジウムには全員で140名ほど参加があった。日英の同時通訳がついた。冒頭、事務局から会議の趣旨説明を行い、次に会議の経過説明をビデオを流しながら行った。次に市民パネル代表から「意見」の発表があり、各班の3人の方からコメントがあった。南山大学の小林助教授から中間総括があり、その後、専門家パネルの5人の方からコメントがあった。さらに外国人からのコメントとしてシエラ・ジャザノフ氏とジョン・デュラント氏からコメントがあった。最後に会場からのコメントがあった。それらの内容については、本年8月にトヨタ財団・日産科学振興財団宛に作成した「遺伝子治療を考える市民の会議」報告書に記載されているので、ここでは割愛する。報告書入手希望の方は、東京電機大学の若松教授まで連絡して下さい。
市民パネル・専門家パネルが協力し、熱心に参加したことによって、意見はまとまり、会議は無事終了した。少なくとも日本でもコンセンサス会議方式がテーマによっては開催可能であることは実証できたと考える。その会議の意義については、今後、いろいろな人が検討していくものであろう。





第2回コンセンサス会議開催の始動について
科学技術庁科学技術政策研究所 木場隆夫  1999年2月3日

「高度情報社会(特にインターネット)」をテーマとして第二回目のコンセンサス会議の準備が始まっていますのでお知らせします。 昨年11月から有志によるワークショップの形式で会合を行っています。

第一回 1998年11月10日
第二回 1998年12月22日
第三回 1999年2月5日

場所:東京電機大学11号館17階特別会議室(千代田区神田錦町2ー2)
 会合はオープンであり、協力希望の方は原則として参加していただけます。マスコミの方にも関心をもっていただくよう声をかけております。


(1)出席者(敬称略、順不同)は、若松征男、塚原修一、飯田哲也、鏑木孝昭、ウダ・レイ、春日匠、隠岐さや香、木場隆夫。なお、TBS報道特集の斎藤道雄さん、東京新聞の中川陽さんが来席された。これからも、メディアの方々に声をかけ続けるつもりです。

(2)ワークショップで議論されたこと、その後の意見交換で決まった方針は以下のよう。  ただし、2月5日の第三回会合によって、方針は変わりえます。
@市民パネルの構成について:
 インターネットを使う、使わないの点で、3:7(あるいは2:8)。男女比、1:1、年齢構成では、10代(16歳以上)から各年代に参加してもらう、職業についても考慮する。なお、開催地が東京電機大学理工学部(鳩山、東上線、池袋から50分)であり、通えることを前提とし、首都圏から募集する。

Aコンセンサス会議本会議に先立ち、勉強会(高度情報社会について、インターネットについて、実際にコンピュータに触れて貰うことを含めて)とコンセンサス会議で議論する課題・論点の決定のために集まり(この二つを一緒に、あるいは別々に)を持ってもらう。

B課題・論点について:
「専門家の間では議論できても(また大いに必要でも)、素人には議論してもらえない」課題があるので、課題を抽出するために専門家による会合を2月27日に開くことにした。参加する専門家の依頼を行うことになった。

(3)スケジュール(案)
1998年7月〜10月 コンセンサス会議「高度情報社会(特にインターネット)を考える市民の会議」の実施方針の検討1998年11月〜1999年2月 論点課題と専門家の同定1999年2月27日 専門家によるワークショップ1999年3月 専門家を集めての論点課題をめぐるワークショップ開催1999年4月 市民パネルの募集開始

1999年5月 市民パネルの確定
1999年6月 市民パネルの会議に向けての準備1999年7月 コンセンサス会議実施
1999年8月〜11月 本コンセンサス会議の結果検討および報告書準備

このプロジェクトに参加、協力希望の方は東京電機大学の若松教授まで連絡下さい。
350-0394 埼玉県比企郡鳩山町石坂 
東京電機大学理工学部一般教養系列(社会学)
phone:+81-492-96-2911 ext.3310 fax:+81-492-96-5132
wakamats@i.dendai.ac.jp
URL http://www.kanon.to/dficon.html


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